栃木ブレックス 橋本晃佑 #21

ケガから復帰した今シーズン 「もらったプレータイムを裏切らない仕事をしたい」 part1

Bリーグが誕生して3年。リーグ発足時にプロ選手としてデビューした選手たちはいわばBリーグと同い年だ。Bリーグとともにプロのキャリアを積んできた彼らを訪ね、コートに立つ“今”と歩んできた道のりについて話を聞いた。


橋本晃佑の栃木ブレックス入りが発表されたのは東海大4年生の秋。NBL最後の年であり、呼び名は『アーリーエントリー選手』だった。Bリーグ開幕とともに203cmの大型ルーキーとして注目を集めるが、シーズン最後の試合で左膝前十字靭帯断裂という大ケガを負い約1年のリハビリ生活を余儀なくされる。再びコートに復帰したのは2018年2月。3年目となる今シーズンは徐々にプレータイムも延び、周囲の期待も高まりつつある。今の心境を尋ねると「バスケットができることが素直に嬉しい。プレーすることがほんとに楽しいです」と、弾んだ声が返ってきた。

「スポーツは何をやっても全然ダメな子どもでした」

橋本は現在の栃木ブレックスの中で唯一地元出身の選手だ。栃木県日光市で生まれ、4人兄弟の末っ子として育った。

姉、兄、兄、僕の順です。姉は170cm以上あるし、2人の兄も180cm台後半ぐらいある。田舎だし、いっしょに歩けば目立ちますね(笑)。けど、僕は背が高いだけでスポーツは苦手でした。野球やサッカーも全然ダメな子でしたね。もしバスケに出会っていなかったら、きっとスポーツとは無縁の人生を送っていたと思います

バスケットを始めたきっかけはやはり身長が高かったから。「小学3年生で158cmぐらいあったかな。姉がバスケをやっていたので、他のスポーツに比べてバスケはわりと身近な感じだったんですが、それでも最初は(クラブに入ることに)あまり気乗りしませんでした。でも、とりあえず体験入部してみろよと勧められて、練習に行ったらゴール下で立ってるだけでいいからと言われて(笑)

が、シュートを教えてもらうようになると、俄然バスケットがおもしろくなった。練習開始の1時間前には体育館に行きシュート練習に励む日々。

シュートが決まる快感を知ってから一気にバスケにハマりましたね。身長も1年ごとに10cmぐらいずつ伸びてたし、中学でもバスケを続けようと思うようになりました。ところが、僕が通う学区の中学にはバスケット部がなくて、こうなったらバスケット部がある中学に越境入学するしかないってことになって。そっちの学区に親戚がいたので、その住所を借りて入学しました。あんなにスポーツは苦手で全く興味もなかった自分が越境してまでバスケットを続けたいと思うようになるなんて、今思っても嘘みたいですね。ほんと、人生は不思議です(笑)

中学に入っても身長は伸び続け、3年次は198cmになっていた。ジュニアオールスターのメンバーにも選出され、“未来のホープ”として地元のテレビ番組に取り上げられたこともある。当然、県外の強豪高校からも誘いの声があったが、選んだのは地元の宇都宮工業高校だった。

ジュニアオールスターでプレーしたメンバーの多くが宇工(宇都宮工業高校)に進む話を聞いて、自分もまたいっしょにやりたいなあと思ったんです。将来のこととかはまだそれほど考えてなかったですね。ただテレビに出たとき、将来のことを聞かれて『栃木ブレックスでプレーするのが夢です』って答えたんです。正直に言うと、そのことはよく覚えてないんですけど、確認すると間違いなくそう言ってる(笑)。なんですかね。普段はあまり意識してなくても心の奥にやっぱりそういう願望があったのかもしれません

だが、口にした『』は当時の橋本にとって現実味を持たないものだった。ジュニアオールスターに選ばれようと、県外の高校から誘いがあろうと、「バスケット選手としての自分に自信を持っていなかった」と言う。

高校に入っても、ただデカいだけでなんにもできないような選手でした。1年のころは、工業高校で身に付けた技術を生かして就職しようと考えていたぐらいです。だからアンダーカテゴリーの代表に選んでもらったときはほんとにびっくりしました。だれよりも自分自身が1番びっくりしたと思います

U16、U18の代表選手として出場したFIBAアジア選手権大会、さらに3年次に日本代表メンバーとして出場したウィリアム・ジョーンズカップ。「日本では下手なりに身長を生かして通用していた自分のプレーが通用しない。それはやっぱり衝撃でしたね。ああもっとうまくなりたいと思いました」それは遅まきながら橋本の中に芽生えた初めての“欲”だったかもしれない。

意識を変えたという意味では、3年生のときの秋田でのインターハイも忘れられない大会だ。宇都宮工業はベスト4を賭けて京都の名門・洛南と対戦した。

洛南は全国でも有名な強豪校だし、うちが負けると思っていた人の方が多かったと思います。実際僕らは残り0.4秒まで負けていました。けど、その残り0.4秒、僕が打った3ポイントシュートが決まって、最後の最後で逆転勝ちしたんです。そりゃもうめちゃくちゃ嬉しかったですよ。こんな片田舎のチームだってあきらめなければ名門チームを破ることができるんだな。最後まであきらめなければ何が起こるかわからないんだな。それがバスケットなんだなって。うまく言えないけど、そういうのを全部実感できたというか、とにかく自分にとってはものすごく大きな勝利でした。あの試合はきっと一生忘れないと思います

part2に続く
ケガに泣いた大学時代「それでも得たものはたくさんありました」

文 松原貴実
写真 安井麻実

栃木ブレックス

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