「下級生主体のチームの中で自分の役割を貫きたいと思った」(東海大4年#91山本健太、#40岩松永太郎)

 2005年に関東1部リーグに昇格して以来、インカレ優勝4回、準優勝3回の成績を誇り常に優勝候補の一角に名を連ねてきた東海大。だが、今年はその立ち位置が少し違った。春のトーナメントは4位に終わり、秋のリーグ戦は10チーム中9位と低迷。黒星が続いた途中からスターティングメンバーを新人戦優勝の下級生たちに切り替え、インカレもまた同様の布陣で戦うこととなった。その中で唯一の4年生として先発したのが山本健太だ。

「上級生がベンチスタートになることには、僕も含め(4年生には)正直、葛藤もありました。でも、それはチームが勝つためだと納得したこと。スタートを任された自分は4年生を代表して、みんなの思いを背負って絶対やってやる!という気持ちでした」

ケガに泣いた3年間を乗り越えて

「絶対やってやる!」それはまた、これまで相次ぐケガでチームに貢献できなかった山本が自分自身に飛ばす“檄„だったかもしれない。U16日本代表メンバーに選出された経験を持つ山本は、早くから将来を嘱望される選手だった。しかし、東海大に進んでからは毎年のようにケガに見舞われる。

1年のときに肉離れで全治3ヶ月、2年のときは右肩脱臼で全治6ヶ月。1つのケガが治って、さぁ頑張るぞ!と思った矢先にまたケガをしてしまう。
「1番つらかったのは3年の春のトーナメントで靭帯を損傷して丸々1年戦線離脱したときです。なんで俺ばっかり…と、さすがに心が折れそうになりました」
だが、そのたびに「早く帰って来い」「待ってるからな」と声をかけてくれた仲間たち。「やっぱりそれが支えになりましたね。1日も早くコートに戻れるよう今できることを頑張ろうと、リハビリ中もそれしか考えてなかったです」

そして、迎えた最終学年、ようやくケガから復帰した山本はこれまでになく「やれる」という自信を感じていた。
「自分でこんなこと言うのは厚かましいですが、リーグ戦が進むにつれて自分のプレーができてるなぁっていうか、そういう手応え感じるようになりました」――『自分で言うのは厚かましいですが』と前置きするところがいかにも謙虚な山本らしいが、その控え目な性格とは裏腹にコートの上では全力プレーで存在感を示した。とりわけ印象深いのは専修大との2回戦。試合は最後まで予断を許さぬ展開となるが、その緊迫した場面で一気に流れを呼び寄せたのが山本の連続スティールだった。「まるでザックを見ているようでしたよ」と、3年前の卒業生ザック・バランスキー(現アルバルク東京)の名前を引き合いに出したのは陸川監督。

「ザックはボールをスッと引っかけるのがすごくうまかった。あれはボールから目を離さず集中しているからこそできることです。今日の山本も同じ。あれはまさしくザックでした(笑)」

山本がもう1つ見せ場を作ったのは、今大会の最終戦となった青山学院大との5位決定戦だ。白鷗大に僅差で敗れた準々決勝の無念を晴らすためにもどうしても勝ちたい一戦だった。前半33-36とリードを許して迎えた3Q、山本は鮮やかな連続シュートを沈める。山本が作った流れからリズムに乗った東海大は追いかける青山学院大を振り切り78-70で5位入賞を果たした。山本はこの試合でチームハイの21得点をマーク。

「うまく言えませんが、今までのいろんなこと全てをここで出し切りたいと思いました。うちの下級生たちはみんな力がある選手ですが、それでも最後に4年生の背中を見せたかった。ほんとにうまく言えないですけど、それができるのはもうここしかないんだと思って、これが最後なんだなって思って」
それが山本の決心。応援席に一礼する上気した顔には今までにない達成感が浮かんでいるように見えた。

自分を信じて、自分の役割をやり抜く

今年、山本とともに副キャプテンを務めたのは岩松永太郎だ。チームきってのファイターであり、キャプテンの佐藤卓磨がU-24の代表としてチームを離れることが長かった期間、練習の先陣を切ってチームを牽引した。「山本もそうですが、今年はこの岩松の存在も大きかった。副キャプテンとしての責任をしっかり果たしてくれたのと同時にそのことで彼自身も着実に成長したと思います」(陸川章監督)

熊本県出身の岩松はミニバス時代に知り合った前村雄大(現栃木ブレックス)を兄のように慕い、「将来は雄大さんと同じ小林高校、東海大でバスケットをすること」を夢見ていた。東海大に進むことは小学4年生のときに「すでに決めていた」と言う。初志貫徹、8年後念願叶って入学した東海大で岩松は「チームのメインガードになること」を次の目標に定めた。しかし、全国から有力選手が集まる強豪チームの中でレギュラーの座を勝ち得るのは容易なことではない。中でもポイントガードは藤永佳昭(現名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)、ベンドラメ礼生(現サンロッカーズ渋谷)、寺園脩斗(現九州電力)、伊藤達哉(現京都ハンナリーズ)と、各学年に大学界を代表する選手が揃い、年を重ねても岩松がコートに立つ機会はなかなか訪れなかった。

「今年こそ」の思いで迎えた最終学年も新チームのメインガードを任されたのは2年生の寺嶋良。下級生主体のチームの中で岩松はどんな思いでベンチに座っていたのだろう。それを代弁するように先発ガードの寺嶋はこう語る。「岩松さんは試合が始まる前、いつでも自分に思いっきり行けと声をかけてくれました。それで安心できるんです。先に試合に出るのは自分ですが、ベンチに岩松さんがいるというのは自分にとってすごく心強いことでした」

上級生であろうと下級生であろうと、メインであろうとサブであろうと、選手にはそれぞれ役割がある。
「寺嶋をはじめ、得点力がある(笹倉)怜寿、津屋(一球)、西田(優大)、センターの(平岩)玄と、うちには有力な下級生が揃っています。あいつらをバックアップするのが自分の仕事なら、それを全力でやり遂げるだけ。自分は下手くそな選手ですが、ハードなディフェンスや粘り強いルーズボールではチームに貢献できると思っています。インカレは自分がこれまでやってきたことを信じて、自分がやるべきことをやり抜こうと決めていました」

それが岩松の決心。その言葉は、コートに出るや否や攻めているかのような激しい守りで敵を圧倒する岩松の姿にピタリと重なった。

道は違っても身を置いた場所で咲く

戦いを終えた山本と岩松に最後の質問をしてみた。「あなたにとって東海大での4年間はどんな時間でしたか?」

ケガに泣き続けてきたにも関わらず、山本が真っ先に口にしたのは「最高に楽しい時間でした」の一言。「多分もっと違う、もっといい言い方があると思うんですが、自分にはうまく表現できません。先輩にも同期にも後輩にも恵まれて、リクさん(陸川監督)の下でバスケができて、最後はそのリクさんに自分を信じてもらえて、使ってもらえて。つらいことも沢山あったけど、その何倍も何十倍も楽しい4年間でした」

「僕も同じです」と、岩松が続ける。「思うようにはいかないことも多くて、悔しい思いもしたけど、ここに来たからこそ成長できた自分がいます。今、はっきり言えるのは東海大に進んだことは100%正しかったということ。小学4年生に決めた自分の選択に間違いはありませんでした」

卒業後、山本は関東実業団チームへ、岩松は教員となりバスケット指導者を目指す。行く道は分かれても選んだ場所で力を尽くすことは同じだ。『身を置いた場所で咲くこと』――それもまた4年間で学んだことの1つ。そして、その大切さを2人は十分にわかっている。

文・松原貴実 写真・安井麻実